シマウマの自由帳

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【2016年1月の1冊】三島由紀夫「春の雪」読書感想文 〜美しく生きても幸せにはなれない〜

2016年1月、早速締め切りを破りました内田です。ごめんなさい。許して。

さて気を取り直して、三島由紀夫「春の雪」の読書感想文を書きます。

三島由紀夫「春の雪」を読んで 「美しく生きても幸せにはなれない」

不幸が源の清顕の美しさ

清顕は美しかった。それは家柄に苛まれたり、綾倉家に預けられた寂しさだったり、親の微妙な不仲のだったりのせいで、儚く物憂げな清顕が美しかった。

まあ今でいう中二病(イケメンに限る)だった。

聡子の好意を無下にして「好意には答えられないんだ・・・っ」と勝手に傷ついていた頃までは、常にそのような苦悩を背負って、流し目をしてこの世に絶望している風な清顕が美しかった。そして自分も、そう思っていたしそれを維持しようとしていた。

凛として筋を通す聡子の美しさ

一方の聡子も同じくらい美しかったが、その種類はまるで違った。目の前で死んだ犬から目を背けずに認める、清顕に振り向かれなくてもめげない、そういう凛としていて言うべきことを言って筋を通す、美しさだった。

清顕の美しさと違って聡子の美しさは幸せな美しさだったのかもしれない。優しい両親に教育されて、裏切られたことなんてなかった。

二人はそれぞれの美しさを自ら手放すほうを選んだ

そんな美しい二人だったが、問題に次ぐ問題の末、両想いにも関わらず引き離されることになってしまった。

それまでの美しい清顕だったら、その不可抗力に屈し、絶望にくれ、引きこもりになるなるか自殺するかといった中二病の極みを見せていたはずだ。それまでの美しい聡子だったら、筋を通し、割り切ってお嫁に行ったはずだ。

と思って、前回の予想を書いた。

が、

物語はそんな風にまっすぐ進まないのだ。起承の後に待っているのは転だ。山を描いた棒グラフは綺麗に逆V字に折れ曲り、ゼロの基準線を超えてマイナスまで進む。

二人はそれぞれ真逆の選択をして、美しさを捨てて、かっこ悪く、愛をとったのだ。

美しさを捨てても、今更幸せになれたわけではなかったけれど。

美しさを捨てて醜くても生きる

自信はないけど強引に結論づけるならこうだ。自分が他人にどう見られてるだとか、悲しい事を強がったりとか、意地を張ってプライドを守るために嘘をついたりとか、そういう美しさを守る行為が結果として悲しい悲劇を呼び起こす。

大なり小なりやってしまいがちだけど、そういう美しさを捨てて醜くても生きる。その方が幸せになれるのかなって思いました。 以上。

予想は半分正解

でしたね。「死ね!」(=予想当たるといいなという感情)と思いながら読み進めた甲斐がありました。

 

yokoshimauma.hatenablog.com

 

詳しくはあなたも読んでみてね!

あ、それと、

※「豊饒の海」は「浜松中納言物語」を典拠として夢と転生の物語

って最後のページに書いてありました。終わりじゃないのかーい!確かに、「春の雪 (1)」って書いてあったわ・・・そういうことだったのか・・・。とりあえず一旦終わる話でよかった。これがジャンプみたいに「主人公に立ちはだかる敵!どうなる!次週をお見逃しなく!」って感じじゃなくてよかった。

それにしても何巻まで続くんだ。2月はもっと現代的な文字を読みたい。

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