月の読書報告です。目標の達成が、年半分にして相当危ぶまれています。
(まだアウトじゃないと信じている)
つくること、つくらないこと: 町を面白くする11人の会話
今回読んだのはこちら。
最近、地域の空き家再生的なプロジェクトをやっていて、それでなにかヒントになるかなと思ってチョイスしました。
概要
この本は先に紹介した2人の長谷川さん(つくるひと)と山崎さん(つくらないひと)が、気になる人と鼎談するというもの。
鼎談するもう1人の方は、だったりだったり、いろいろです。
長谷川浩己さんとは
ランドスケープアーキテクト。建物の外側のデザインをする人です。遊歩道とか、散策路とか、何棟も並ぶマンションの間とか。
ホームページを眺めると、主張しすぎず、周辺の文脈を読んだような馴染んだデザインが居心地良さそうです。
教授を務める武蔵野美術大学のページを見ると、その考え方についてこのように書かれています。
私たちは風景を造り出すことは出来ません。それは既に‘在る’からです。
ただ、ほんの小さな関与でさえも、巨大な風景を変えていくことは
可能だと思っています。
山崎亮さんとは
長谷川さんと同じくランドスケープアーキテクトのお仕事をした後、現在は「コミュニティデザイナー」を名乗っています。
コミュニティデザイナーとは、建物や遊歩道といった形あるものをデザインし作るのではなく、「人と人とがつながる仕組みをデザインする」。
その転身の経緯についてウェブメディアのインタビューでこう答えています。
使う人を考えてソフト面の仕組みをデザインしないと、ハードはなかなか持続的に活性しないんです。ハードをつくっただけで人が集まるわけではないし、公園ができてすぐに「ここで何かやります」と手を挙げるプレーヤーが出てくるわけでもありません。せっかくできた公園を、地域の人たちと一緒に楽しい場所としてつくれないか――。
そんな二人と、様々な立場の「つくる人」「つくらない人」が鼎談していく
そもそも長谷川さんと山崎さんも似ているようで違うところにいる2人だけど、同じようなことを考えていたりする。
同じように鼎談する方も、分野ややっていることが違っても、同じようなことを考えている。
ランドスケープや地域づくりといった分野に興味がなくても、それを抜きにしても、そういった分野の表層ではなくて根幹としてのスタイルや生き方、やり方について学ぶところがあった気がする。
つくること、つくらないこと
題名にもなっているこのことは、この本を貫いています。
何かしらの物を作ることは、ほんとうに「つくること」なのか。逆に作ることで、資源を失ったり、手に入れられないという不足感が生まれているのではないか。
物を作らず、関係性や歴史を見直すとかそういう「つくらないこと」で「つくれる」ものがあるんじゃないのか。
今の時代、みんな多かれ少なかれこのことに気づいていますよね。
じゃあ、そのあとで自分はどうしていくべきなのか。
鼎談形式だからこそ、山崎さんと長谷川さんの少し難しいような話もわかりやすく、すーっと頭に入ってきます。
2人もまだ、迷いがある気がしました。もう何年も前の本だから今はわからないけど。