「意外と見たことなかった映画を見る」シリーズ!今回は宮崎駿監督によるアニメルパン三世の「カリオストロの城」です。 ※3月の「今月の映画」です。
あらすじ
名作どまんなか!
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「意外と見たことなかった映画を見る」シリーズ!今回は宮崎駿監督によるアニメルパン三世の「カリオストロの城」です。 ※3月の「今月の映画」です。
お久しぶりです。暇人のはずが、暇人だからって予定を入れまくっちゃってすごい忙しい2月を過ごしました内田です。びびるー!
そんな中、なんとか読み終わった今月の一冊は「アド・バード」椎名誠。いやー前回、大正時代とか日本語が古すぎて嫌になったから、現代語にしようと思った結果がSF小説っていう。
って、その田舎町から大都会に向かう途中で仲間が言ったんです。まあSFあるあるかもだけど、この未来ではたくさん技術が進歩した結果、虫やらなんやらが危害になってしまって、破滅しちゃって、美味しい食べ物も楽しみもなければ電気も水も貴重なものになってしまったっていうむしろ廃退っていうか、退化っていうか、そういう状態で。
でも変わりにすごく高性能なアンドロイドとか喋る鳥とかがあるんだけど、でも主人公たちは「ヒコーキすごい!」「たくさんの人を乗せてたんだって!」ってはしゃいでて。
いや、書いてて、どんな小学生的感想だよって思うけど、
「今」がいつか、「古き良き昔」とか「あの頃は良かった」っていうその「昔」とか「あの頃」になるんだなあって。
不思議なものだなあ。
いや、あの、文学的なことって全然わかんないんですけど。
ずっとその男子兄弟の目線で話が進んで行っていたのに、ある時急に植物が主人公の章が現れて、ちんぷんかんぷんな部分があったんです。意味わかんないしつまんないしで流し読みしたんですけど・・・w
これバラしたらつまんないと思うけど、もう書いちゃったけど、それが大事な伏線でした。面白いなあ!って思いました。
正直、一回読んだだけじゃ未来の仕組みが難しくてわかんないところも多かったので、雨の日とか、風邪の日とかにもっとゆっくりじっくり読みたい小説でした。
以上!
来月は友人のススメにより谷崎潤一郎「鍵」です。老人夫婦が日記を盗み見しあって滑稽に駆け引きし合うっていう面白文学らしいです。わくわく。
2016年1月の映画は、シェイクスピアは傑作、ハムレットはすごい、って言われてるけど実は内容は何も知らない・・・という教養知らずの王道!てことでハムレットです。
主人公ハムレットは、デンマーク王の王子。王様の息子です。でもいきなりだけど、そのお父さん=王様は殺されて亡霊になって出てくるところから物語は始まります。
亡霊がハムレットに「仇をとってくれー!弟に殺されて、妻(ハムレットのお母さん)を寝取られたー!」と仇討ちを頼みます。
そう、王様を殺したのは実の弟で、うまいこと代わりに王様になった挙句に妻をゲットした悪党なのです。
その弟、ハムレットからしたら叔父を、恨んで恨んでぶっ殺すまでのドタバタ劇、それがハムレットです。
途中に可愛い彼女も出てくるよ(^ω^)
いやーこれ一回見ただけじゃ全然わかんない!でもなんか、映像もダイナミックだったし中世って感じの宮殿の内装とかドレスとか、かっこよかったし、面白かった、かな?多分?って感じが最初の気持ちでした。
でも2日くらい経って、なんか記憶が落ち着いてきて、わかってくるものがあるような気がする。
自分がハムレットだったらどうだっただろう。観客として見てるぶんには、ハラハラドキドキで、そうじゃない、ハムレットのバカ!危ない!なんでこうしないの!なんでそれやっちゃうの!ってもどかしい感じだけど、でも実際自分がハムレットの立場だったら同じように大混乱してハムレットになっちゃうだろうな、って。
そういう人間っぽさ、間違えたり行き過ぎたり立ち止まったりしてしまうよね、というのが、蛇行するジェットコースターみたいで面白いのかな。
そんな感じで、一回目観終わって全然わかんないどうしよう!って感じだったところにDVD特典で音声解説がついてることに気づき、おお、これで色々解説してくれるんならわかるかも!と思って再生したら、また追加で4時間見る羽目になったっていう・・・
合計8時間・・・oh my god...
でもこの解説がすっごいすっごい面白いから、ハムレット知ってるよって人も見たら楽しいと思う!
紅白のTMレボリューションみたいな感じでハムレット本編を見ながらケネスと台本監修のラッセル・ジャクソン教授が雑談するんだけど、このハムレットのセリフはどうだとか、ここで相棒のホレーシオの態度が変化するとか、オフィーリオはここでは複雑な気持ちで・・・とか登場人物について言及してくれる。
そんなの言われなきゃわかんないってことばっかりで、ほんとこれ見たおかげで理解度が倍増しました。
そして、「いやーこの撮影は大変で、長丁場を1つのカメラで撮るからリハーサルは長いし、人物がかぶらないようにカメラの位置と立ち位置を調整するのも時間がかかるし、」とか宮殿が全部スタジオで〜とか撮影の裏話もしてくれる。
確かに言われてみたら、すごい!ってポイントがよーくわかって楽しい。本編見てるとストーリーに集中してて気づかなかったけどカメラが移動しながら何分もワンカットで舞台みたいで、臨場感がすごいの。
それを踏まえてもう一回見たらもっと面白いと思ったけど、さすがにプラス4時間は時間がなくてTSUTAYAに返却しました。
今度、多分、ね。
つい長くなりましたがこの辺で。
あ、そうそう、この有名な素敵な絵画!ハムレットの彼女って知ってた!?私はさっき知りました!ちょっと悲しい場面だったんだね。
三島由紀夫「春の雪」第三弾いきたいと思います!せっかくなので!いつも本を読んだらそれでおしまいにしてしまうけど、掘り下げてみたら楽しいかな?と思ったのでやってみました。
「春の雪」は大正初期が舞台で、伯爵やら公爵やらが実在してて、運転席と客席がセパレートな自動車とか、馬車とか使われてたり、どこまで本当なのか、内田にはわかりません。
もしかして全部本当なの・・・?どうなの・・・?
あと難しい言葉も多くて、なにそれ?なものや変な動詞とか、今はない制度のものとか、調べてみました。
春の雪は「豊饒の海」という4部作の1作目として1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)にかけて、雑誌「新潮」で連載として発表された作品です。
1960年代は高度経済成長期真っ盛りの時代です。
また、舞台は大正初期(大正のはじまりは1912年)なので、半世紀昔の話を書いたということですね。
三島は『春の雪』において、「会話のはしばしにまで、古い上流階級の言葉の再現」をしたとし、「あと十年もたてば、これらの言葉は全くの死語となるであらう」と述べ[29]、
とありました。書いてる時点で、「意味はわかるけど昔の言葉」を使ったってことですかね。
なるほどわからんわけだ!
物語を読んでいると「俥」が出てくるんですが、それが最初は普通に自動車のことだと思っていたらどうやら幌(ほろ)とか車夫とか言うので、しばらくして「これは人力車だな?」と気づきました。
どうやら「俥」とニンベンがついてるのは人力車を指すらしいです。
でも一度だけ、自動車が登場しました。東京から鎌倉に一晩で行って帰る時です。その車についてはこう書かれていました。
五井の持っている一九一二年型の最新のフォードは、セルフ・スタータアの発明によって、もう始動のためにいちいち車から降りなければならぬような運転手泣かせの車ではなくなっていた。
二段変速機つきの普通のT型だったが、黒塗りに細い朱の線が扉をふち取り、幌に包まれた後部座席だけはなお馬車の面影をとどめていた。
運転手に話しかけるときは通話管に口をあて、運転手の耳もとにひらいている喇叭(ラッパ)へ声を伝えるのであった。
屋根にはスペア・タイヤのほかに荷台がつき、長途の旅行に耐えるようにできていた。
三島由紀夫「春の雪」より(斜体部、改行は筆者による)
「マジっすか」と疑問の連続です。始動のために車から降りてた?二段変速?T型?話しかけるときはラッパ?
手っ取り早く画像を探すとこんな感じ。
(画像上)フォード・モデルTラナバウト(1911年以前の最初期型) 引用元:
(画像上)国産吉田式"タクリー号"(1907年・日本)引用元:
自動車誕生から今日までの自動車史(前編) | よくわかる自動車歴史館 | GAZOO.com
記述に合致するフォードTはなく、下の画像の「吉田式」というのがなんとなく似ている気がします。ラッパは見当たらないけど。
おしゃれだなあ、ぜひ乗ってみたいなあ。どこかで乗らせてもらえないものかな?
amazonでこんなのもありました。16分の1の模型です。
これの写真に、後ろから見たものがあったんですが、
これが客席ですか?運転手だけ室内で、他の人は外ってことなのか?結構風が来て寒そうです。まあ馬車とかも寒いと思うけど。よくわからんです。
なおwikipediaによるとフォードTは日本で最初にたくさん売れた自動車らしく、県内初の自動車がそのフォードTだったところもあるくらいだそう。特にタクシーとしてはボディなしで日本に来て、日本製の箱をつけるパターンも多かったと書いてあります。
作中の自動車も、そういうフォードの公式のタイプではなく改造されたものだったのかもしれないです。
それにしてもかっこいい。下からニョキっとなってるハンドルもかっこいいし、手動のパフパフもかっこいいし、黒ボディに金のラインがほんとかっこいい。いいなあ!
明治2年から昭和22年に日本国憲法が立憲するまであった華族という決まりで叙せられていたらしく、侯爵は二番目に偉い家柄、伯爵は三番目に偉い家柄。
一番偉いのは公爵で、徳川家や岩倉家がそれにあたる。四番目は子爵、五番目は男爵。
江戸時代までの公家・武家、明治維新で功績を挙げたものなどが爵位を得た。
らしいです。難しいです。
参考リンク:
嫡子(ちゃくし):家督を継ぐ者。普通は長男。また、一般的にその家を継ぐ人。てきし。
撞球(どうきゅう):ビリヤード
と見こう見(とみこうみ)する:あっちを見たり、こっちを見たりすること。
書生(しょせい):勉学を本分とする者。特に明治・大正期では住まわせてもらう代わりに雑用や家庭教師をする学生。
奢侈(しゃし):身分を超えた贅沢。
自分の肉体の小さな擬宝珠:玉ねぎのような形状の、寺や橋の欄干に付けられている飾り。ここでは清明の乳首。
御門跡:仏教の宗派の中で一番偉い僧侶。
おのがじし語りたがった:各自それぞれが。(おの=おのれの、自分の、自分が)
附文:断り書き。手紙。
さなきだに:ただでさえ。そうでなくてさえ。
あてこすりを言う:当てつけ、皮肉を言う。
〜とは言い条、(〜とはいいじょう):とは言うものの、。
蓮葉(はすは)に言う:軽薄に、軽率に言う。
口を糊する:貧乏ながら生計を立てる。糊するとは粥を食べる的な意味。(封筒をペロペロして糊つけしてるって意味かと思った!違った!)
吝嗇(りんしょく):ケチ
料理たのでございます:調べてみたけど「りょうりた」と料理を動詞として使う用法は現在見つからないです。「料理する」はサ行変格活用で「料理した」になると思うのですが、「料理た」って使ってたんでしょうか。「詐欺った」みたいなもんでしょうか。
参考リンク:
コトバンク [ 時事問題、ニュースもわかるネット百科事典 ]
以上、現代でお金持ちになるより大正っていう時代の華族になってみたかったなあと思いました。
2016年1月、早速締め切りを破りました内田です。ごめんなさい。許して。
さて気を取り直して、三島由紀夫「春の雪」の読書感想文を書きます。
清顕は美しかった。それは家柄に苛まれたり、綾倉家に預けられた寂しさだったり、親の微妙な不仲のだったりのせいで、儚く物憂げな清顕が美しかった。
まあ今でいう中二病(イケメンに限る)だった。
聡子の好意を無下にして「好意には答えられないんだ・・・っ」と勝手に傷ついていた頃までは、常にそのような苦悩を背負って、流し目をしてこの世に絶望している風な清顕が美しかった。そして自分も、そう思っていたしそれを維持しようとしていた。
一方の聡子も同じくらい美しかったが、その種類はまるで違った。目の前で死んだ犬から目を背けずに認める、清顕に振り向かれなくてもめげない、そういう凛としていて言うべきことを言って筋を通す、美しさだった。
清顕の美しさと違って聡子の美しさは幸せな美しさだったのかもしれない。優しい両親に教育されて、裏切られたことなんてなかった。
そんな美しい二人だったが、問題に次ぐ問題の末、両想いにも関わらず引き離されることになってしまった。
それまでの美しい清顕だったら、その不可抗力に屈し、絶望にくれ、引きこもりになるなるか自殺するかといった中二病の極みを見せていたはずだ。それまでの美しい聡子だったら、筋を通し、割り切ってお嫁に行ったはずだ。
と思って、前回の予想を書いた。
が、
物語はそんな風にまっすぐ進まないのだ。起承の後に待っているのは転だ。山を描いた棒グラフは綺麗に逆V字に折れ曲り、ゼロの基準線を超えてマイナスまで進む。
二人はそれぞれ真逆の選択をして、美しさを捨てて、かっこ悪く、愛をとったのだ。
美しさを捨てても、今更幸せになれたわけではなかったけれど。
自信はないけど強引に結論づけるならこうだ。自分が他人にどう見られてるだとか、悲しい事を強がったりとか、意地を張ってプライドを守るために嘘をついたりとか、そういう美しさを守る行為が結果として悲しい悲劇を呼び起こす。
大なり小なりやってしまいがちだけど、そういう美しさを捨てて醜くても生きる。その方が幸せになれるのかなって思いました。 以上。
でしたね。「死ね!」(=予想当たるといいなという感情)と思いながら読み進めた甲斐がありました。
詳しくはあなたも読んでみてね!
あ、それと、
って最後のページに書いてありました。終わりじゃないのかーい!確かに、「春の雪 (1)」って書いてあったわ・・・そういうことだったのか・・・。とりあえず一旦終わる話でよかった。これがジャンプみたいに「主人公に立ちはだかる敵!どうなる!次週をお見逃しなく!」って感じじゃなくてよかった。
それにしても何巻まで続くんだ。2月はもっと現代的な文字を読みたい。